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芥川賞を受賞した市川沙央さんの小説「ハンチバック」の感想と解説

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市川沙央さんの小説「ハンチバック」の感想・解説・考察。

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この小説はKindle Unlimited(キンドルアンリミテッド)で読みました。

第128回文學界新人賞と第169回の芥川賞を受賞。

本のカバーイラストが意味不明で、タイトルの意味もよくわからないまま読みましたが、読み終えて理解できました。

gao the book
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内容をある程度書いていてネタバレしている部分が多いので、これから読もうと思っている方はご注意ください。

小説「ハンチバック」のあらすじと感想

主人公について

主人公は難病を抱えた40代の女性「井沢 釈華」。

小学校3年生の時にミオチュブラー・ミオパチーという病気が発症し、以降は体が思うように動かなくなり車椅子で生活している。

この小説によると、ミオチュブラー・ミオパチーは「遺伝子エラーで筋肉の設計図そのものが間違っている病気」らしい。ミスプリントされた設計図しか参照できないため、普通の生活すらも危うい。

  • 常に酸素飽和度と痰のことを考えて行動する必要がある
  • 極度に湾曲したS字の背骨
  • 喉に負担がかかり痰が増すためほとんど喋らない。音声言語やLINEを使って会話する
  • 十畳ほどの部屋と、キッチン・トイレ・バスルームが自分の足で行ったり来たりするスペースの全て。他に通うところもなく、ヘルパーとケアマネと医療業者以外は訪ねくるものもいない

もし、自分がこの状況ならば自分の人生を呪っていただろうなあ。そして社会に対しても呪いの言葉を吐いていたと思う。

この小説の主人公の唯一の救いは(ある意味で皮肉でもあるけれど)、両親から相続した億単位のお金があること。

そして、ワンルームのマンションを一棟丸ごと改造した施設「グループホーム・イングルサイド」の経営をしている。

他にも数棟のマンションから管理会社を通しての家賃収入があり、親から相続した億単位の現金資産はあちこちの銀行に手付かずで残っている。

この小説を読みながら「お金がいくらあっても健康な体を持っているほうが幸せ」という気持ちが何度も湧き上がってきます。

グループホームの経営以外にも仕事をしている

グループホームの経営や管理とは別に、記事や小説を書くことを仕事にしている。

iPad miniを使ってWordPressで記事を書く。ハプニングバーの記事、ナンパスポット20選などなんでも書いている。WordPressのアカウント名は「Buddha」。

また、ShakaのペンネームでTL(ティーンズラブ)小説も書いている。電子書籍レーベルからリリースした10冊以上の印税がある。

本人はお金には困っていないので、コタツ記事ライターのバイトで稼いだお金やTL小説の印税は、毎月見知らぬ誰かの学費(寄付をしている)や、グループホームの食事の「ふりかけ」になって出ていく。

釈華の名前

釈華という名前から仏教の開祖「釈迦」を思いつきます。「Buddha」「Shaka」という名前の使い分けに加えて、「紗花」のアカウント名でTwitterもしている。

29年前から涅槃に生きているからという意味で、釈迦に関連した名前を複数使っているらしい。

僕は涅槃像を思い浮かべて、寝ていることが多いから?と思っていましたが、悟りの境地の意味が強いようです。

世間の人々は顔を背けて言う。「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」と。だがそれは間違っている。隣人の彼女のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこにまで辿り着けない。

ハンチバック

ちなみに隣人の彼女というのは、筋疾患で寝たきりの方。


個人的な話ですが、ちょうど今、釈迦(ブッダ)に関する本を読んでいます。

釈迦ってハイスペックなんですね。知らなかった。王族に生まれ、地位や名誉、お金もたくさんあった。あらゆる快楽を知っていた釈迦が、29歳で王族の地位を捨て修行し、やがて悟りを開く。そこで体得した「涅槃」。この涅槃はあらゆる快楽を上回るくらいに気持ちいいらしい。

この小説の釈華が辿り着きたい涅槃。そこには「人として生まれたからには」という意地とプライド、すがるような思いが伝わってきます。

難病のつらい描写に、つくづく自分は恵まれていると感じる

記事を書く作業は、30分で腰や首に負担がかかってくるため長時間できない。それでも頑張る姿が描かれている。自分が同じ状況で「これしかない」と思うことができるならば、この状況でも歯を食いしばって頑張れるのかもしれない。それともあっさり投げ出してこの世を去るか。僕は多分、後者になりそうな気がする…。

主人公の率直な思いが書かれたシーンがあるのでいくつか引用してみます。

酸素濃度の低下による呼吸困難、痰との戦い。嫌にならないほうがおかしいと思う。

息苦しい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。こいつらは30年前のパルスオキシメーターがどんな形状だったかも知らない癖に。

ハンチバック

読書は当たり前のことではない。

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。

ハンチバック

マチズモと言う言葉を知らなかったので調べてみました。男性優位主義や男らしさを誇示する思想、とのこと。マッチョの語源のようです。この小説では「健常者優位主義」と表記していました。

Twitterでは本音をツイートする。

ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる?あの子たちのレベルでいい。子供ができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。

ハンチバック

私はあの子たちの背中に追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。

ハンチバック

自称弱者男性の田中

グループホームで生活をする釈華だが、自分でできる行動には制限がある。

体は女性ヘルパーに洗ってもらっているが、ある日、女性ヘルパーが全員対応できないことになり、急遽男性のヘルパー田中が担当することに。

田中は34歳独身で自分で弱者男性と言っている。身長は155cm。釈華が165cmなので、身長によるコンプレックスもあるのかも。

そんな田中に体を洗ってもらった際に、田中から釈華のTwitterアカウントのことについて話をされる。釈華の開けっぴろげな希望は田中にバレていた。

そこで釈華は開き直って田中にお願いする。兼ねてからの希望だった妊娠することについて。

行為の後には、田中の身長の数字にちなんで1億5500万を渡す約束をし行為に及ぶ。

その後、肺炎になり死を彷徨う主人公。なんとか助かるが呆れる田中。

1億5500万円の小切手は用意していたが、田中は結局受け取らずグループホームを退職する。

終盤、ちょっと意味がわかっておらず…

終盤に急に話の展開が変わります。

紗花という名前の風俗嬢が第一人称になり、その風俗嬢の話に。この紗花という名前はおそらく仕事上の名前で実名は違うと思われます。

大学生で「デヴィット・リンチ作品における障害者表象」をテーマに卒論を書いている。

紗花の兄は過去に女性を殺して捕まっている。殺害した女性は変わった名前と病気を持っていた。(釈華?)

紗花はホストにハマっていてそのホストの名前は担。担といるといつも胸が苦しくて不幸せらしい。(痰とかかってる?)

紗花の兄が殺した女性の人生について思いを巡らし紡いだ物語。それがこの小説のほとんどを占めていた釈華の物語だったのかな。正直、自信なし ^^;

まとめ

この小説は近年の作品なので今風の世界観で、SNSやネットニュースなども馴染みがあり、かなり読みやすい作品でした。

読み終わった後に知ったんですが、著者の市川沙央さん自身がミオチュブラー・ミオパチーを患っているようです。つまり、ある意味ではかなりノンフィクションに近いフィクション小説という感じでしょうか。

市川沙央さんと小説の主人公の釈華を同一視してしまいがちですが、ここはフラットに別人として考えようと思いました。本人はもしかすると全然違う人格の方なのかも知れません。

この小説は、健康な体を持つ人と、障がいを持つ人の考え方の違い(おそらく分かり合えない世界だと思います)がテーマだと思います。

障がいを持つ人の気持ちがわかる、なんてことは言えませんが、健康な体でいる間はもっと毎日頑張って生きないとな、という気持ちが湧いてきました。

芥川賞を受賞した話題作、ぜひ読んでみてください。

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