村上春樹さんの小説「夏帆」の感想・解説・考察。

2026年7月3日発刊。
この小説は発売してすぐに(まさに0時に)電子書籍で購入しました。
3年ぶりの長編小説。
ハードカバーの本は装丁なども含めて大好きですが、随分前からほとんど電子書籍で読んでいます。前作の「街とその不確かな壁」も電子書籍で読みました。単純に重たい本を読むのに疲れる、という加齢の問題です。
村上春樹さんの小説は全て読んでいますが、好き嫌いが結構あります。5回以上読み返す作品もあれば、1回しか読まないようなそんなに好きでもない作品もあったり。
今回の夏帆については、最後の終わり方がすごく良くて、また読み返す予定です。
ネタバレしない範囲で、夏帆の魅力について書いていこうと思います。

次の作品もまた読みたい。
小説「夏帆」のあらすじ
この小説は4つの章に分かれています。
章ごとに物語がきちんと分かれていて、理解しやすい構成に。もちろん長編小説なので全て繋がっています。
悪意を感じる男
主人公は26歳の夏帆。絵本作家をしながら、単発でイラストを描く仕事をしている。
2年前に恋人と別れ、沈み込んでいたところを、絵本の編集担当の町田が「ブラインド・デート」をセッティングしてくれた。ブラインド・デートって言葉初めて聞いた。お互いに顔も合わさず情報を非公開にしたまま初対面するデートのことらしい。
そのデートの相手は佐原という男。デートの終わりに「君みたいな醜い相手は初めてだ」と言われる。穏やかにデートをしていて少し好意すら湧いていたが、まさかの言動に動揺を隠せない夏帆。しかし、どちらかというと好奇心が勝り、後日のデートにも行くことに。
BMWのバイクに乗っている佐原。彼はバイクのことをモーターサイクルと呼ぶのが気に入っている。
オーストラリアに生息する野球のグローブほどのでかい蜘蛛の話をしたり、夏帆の心を読むかのように一人で喋る。
この佐原との出会いから、夏帆の人生に変化が訪れます。
夢の中にもモーターサイクルの排気音が登場して、かなり不吉。
ありくい夫婦
このモーターサイクルの男の悪意から逃れるために登場したのが、ありくいの夫婦。
電車の車内で一匹の雌のありくいから武蔵境に引っ越すよう勧められる。
洋食レストランを経営している夏帆の父の兄に、武蔵境のことを聞きに行くと、「文明の果つるところ。人の住むところではない辺境。日本語が通じるかどうかも怪しい」と答えた。さすがに言い過ぎ 笑。
結局、叔父さん(父の兄)の知り合いの不動産屋から武蔵境の平家の一軒家を紹介され、一目で気に入り引っ越すことに。
引っ越してからまた、あのありくいが登場する。ブラジルの森からやってきた。
座布団の上に正座するありくい。いや、可愛すぎるでしょ。
すでに夏帆の家の軒下で夫婦で暮らしている。
ありくいは夏帆の身を案じて、武蔵境に導いたらしい。不吉な大型バイクの排気音はここ武蔵境までは来ていなかった。
そして、ありくいの夫婦から危険なお願いをされる夏帆。
無事、ありくいの頼みを完了し、ありくいはいつの間にかブラジルの森に帰って行く。
夏帆の両親
実家に帰ると父はかなり老けこんでいて、母は何者かに乗っ取られていた。
ここから物語は終盤の展開になり、母を乗っ取った何かと対決することになります。
自称、守護天使が登場したり、ブラジルに帰ったありくいが手助けしてくれたり、小学校の頃に飼っていた猫のホルが助けてくれたり。
変なことばかりが起こる夏帆の人生。元の生活に戻ることはできるのか?
終盤は特に面白いので、ぜひ最後まで読んでみてください。
3冊の絵本
夏帆は自分が体験した不思議な物語を絵本にします。
- 自分の顔を探す少女の物語…10代の少女にかなりウケて売れる
- ありくい夫婦の物語…代表作と言ってもいいほどに売れる
- 10歳の少女ミソラが隠された秘密の出口を探す物語…発表されたかどうかは不明
3冊目はわかりませんが、そのうちの2冊は売れ行きがよく、特にありくい夫婦の絵本はかなり売れたらしい。
小説「夏帆」の登場人物
小説「夏帆」の登場人物を書きます。
- 夏帆…主人公。26歳。絵本作家。単発でイラストも描いている。自分でも確信しているほど凡庸な人間なのに、なぜか不思議な世界に迷い込んで、面倒なことに巻き込まれます。
- 佐原…40代。証券関係の仕事をしている。背は高くないがハンサム。仕事ができ、お金も持っている。BMWのモーターサイクルを持っている。
- 町田…女性編集者。夏帆の絵本の編集を担当。
- 夏帆の母…美人でスタイルが良い。お嬢様育ちで、社会的ステータスを重視する。見栄っ張りだが優しい性格。
- 夏帆の父…埼玉県浦和市で小児科医を開業。温和な性格。レコードで昔の音楽を聴くのが唯一の趣味。
- 夏帆の父の兄…新小岩の能天気な夏帆の叔父さん。50代半ばで独身。洋食レストランを経営。夏帆とは昔から仲が良く、夏帆はよくそのレストランに食べに行く。
- ありくいの雌…夏帆にお願いを色々としてくる。夏帆にとって親近感の湧くありくい。
- ありくいの雄…シャイでほとんど夏帆の前には姿を現さない。耳が非常に良く、危険を察知する能力がある。博学でジャングルの古老と呼ばれる。パイプを咥えている。
- とぎやの店主…70過ぎの老人。長身で耳の尖った異様な風貌。夏帆はその見た目に恐れ慄く。良くないヴァイヴレーションを持つ。
- ホル…夏帆が小学3、4年生の頃に突然家に現れた猫。その後、家族の一員となる。白黒柄の大柄の猫でホルスタインのようなのでホルと名づける。中学生になると突然いなくなった。
- ミソラ…夏帆の絵本に登場する10歳の少女。
- スカーレット・ヨハンソン…ミソラの守護天使。白黒柄の大柄の猫。尻尾を器用に操る。
他にもシロアリの女王、ジャガーなども登場します。物語のネタバレに関わりそうなキャラなので、名前だけ出しておきます。
小説「夏帆」の良かったところ
夏帆を読んで個人的に面白かったところ。
絵本のようなワンダーランド
主人公の夏帆は物語が進むのに並行して、絵本を3冊描きます。
自分が体験したことを絵本にしていて、この小説そのものが絵本のような物語に。
大人の女性が主人公の絵本。読み終わった後にこの印象が強く残りました。
そして、また読んでみたいな、と思わせる完成度。
村上春樹さんの小説には不思議なキャラクターがよく登場します。羊男、氷男、しゃべるアシカなど。短編の中に緑の獣が登場する話があって、それはとても不思議で切ない話なんですが、今作の雰囲気に似ていると感じました。
不思議なキャラクターがたくさん登場しますが、終わってみるとそんな登場人物たちをも丸々愛してしまう。今作の夏帆の終わり方は悲しさと切なさがありつつ、ポジティブに終わるので良かった。
笑ってしまうユニークな言葉選び
この小説では面白いキャラクターが2人登場します。
新小岩の能天気な叔父さん
夏帆の父の兄、新小岩の能天気な叔父さん。50代半ばの独身で、レストランを経営している。
夏帆とは昔から仲が良い。叔父さんは照れ臭いのか、変な言葉を使ったり、大したことでもないエピソードを夏帆によく聞かせる。陽気な叔父さんを演じて、夏帆を楽しませようとしている節があります。夏帆には「フーテンの寅さん」みたいと言われる。
とにかくこの叔父さんの言葉選びが面白くて、この小説の大きな魅力の一つになっています。
「ふうん。ま、とにかくおれはね、新宿より西側の東京ってのが、どうにも肌に合わねえんだ。昔からそうだった。あちこち気に食わんとこだらけだ。行くたびにいらいらさせられる。なにしろ風景が単調で退屈だし、人間はつんけんしているし、ぴかぴかのドイツ車が多すぎる。眩しくって目が痛くなる」
夏帆
守護天使
ネタバレしてしまうので、なかなか説明が難しいところですが、ネタバレしない範囲で書きます。
夏帆がピンチの時に自称「守護天使」が登場します。
象徴的な意味ではなく、実物の守護天使。英語で言うところのガーディアン・エンジェル。「実物の」と言う所と、英語で言っても面白い所に、思わず吹き出してしまいました。
独立したNPOみたいな活動として、仕事として、夏帆を守っている。新世代の守護天使。オフビートな守護天使。守護天使界のジャック・ケルアック。ベラベラと真剣な顔で喋る。
「こいつは何を言ってるんだ」という夏帆の表情が思い浮かんでしまいます。
とにかくこの守護天使が面白すぎて、「村上春樹さんやっとるな」と思ってしまいました。
笑いは「緊張と緩和」と聞いたことがあります。村上春樹さんは関西の方なので、そのあたり心得ていそう。シリアスに困っている夏帆に対して、至って真面目に変なことを言う叔父さんと守護天使。そのギャップについつい読みながら笑ってしまいました。これ多分、確信犯だと思います。
猫が可愛すぎて
この小説で外せないのは、夏帆が小学生の頃に飼っていた猫のホル。
僕は犬も猫も飼ったことがありませんが、どちらも同じくらい可愛いと思っています。
この猫のホルに関しては可愛すぎて、ちょっとズルい。
猫の仕草や行動の描写が的確なので、猫を飼ったことがなくても、猫らしい行動だなと感じます。
村上春樹さんの作品には、かなり高い確率で猫が登場します。
そして、猫は「良いことの印」のように、物語に幸福をもたらしています。
今作で猫の可愛さを、本の魅力として伝えるは今更感が強いですが、それにしてもこのホルはめちゃくちゃ可愛い。
まとめ
本音を言うと
正直なところ、最後まで読み終わるまでは、「今までの村上春樹さんらしい作品だけど、いつもの感じすぎてちょっとつまらないかな?」と感じていました。耐性がついてるというか、刺激に鈍感になっているというか。
ですが、物語の終わり方がとても好きで、読み終わった後に1冊丸々物語を思い返してみると、「いや、とても良かったな」という感想に変わりました。
リアルに現代社会を生きる夏帆という大人の女性が、不思議の国のアリスの世界に迷い込んだような、本当に絵本を小説にしたようなワンダーランド。
村上春樹さんの小説を初めて読む人はこの作品をどう思うのか?そこはちょっと気になっています。
村上春樹の魅力
小説はそもそもフィクションなので、ある意味何でもありというか、不思議な話の方が現実逃避できるので、そこが良いと思っています。ただ、意味がわからなすぎても、現実から乖離しすぎても、読むのを断念してしまいます。ある程度現実的で論理的に説明ができる部分は残しつつ、エンターテイメントとして仕上げる。村上春樹さんの作品はそのバランスが絶妙です。
そして、個人的に感じている村上作品の最大の魅力は、描写が細かくてリアルなところ。
料理でも人でも動物でも、目の前にあるかのような描写の細かさ(服装だったり仕草だったり)。しかも文章が洗練されているのか、脳で何の抵抗もなく再現できてしまう凄さ。
今回はあまり登場しませんが、小説内で料理するシーンは本当に料理が美味しそうです。ジブリアニメに出てくる料理が美味しそうに思える、あの感じにかなり似ています。
ネタバレしないように感想を書きましたが、大まかにはこんな物語です。ぜひ手に取って読んでもらいたい一冊。個人的にはかなり楽しめました。



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