稲垣えみ子さんのエッセイ「寂しい生活」の感想記事です。
この本は本の読み放題サブスクKindle Unlimited(キンドルアンリミテッド)で読みました。
前作「魂の退社」も読みましたが、著者の稲垣さんはミニマリストという言葉が陳腐になるくらいにガチンコの生活をされています。今作は「魂の退社」を出版後の生活について書かれています。
「魂の退社」もKindle Unlimitedで読めます。
ここまで節約生活を徹底していると、もはや一般的には「変わった人」に見られるでしょうね。普通ではないので読んでいて面白いです。
「寂しい生活」のあらすじをざっくりと
2011年の東日本大震災にショックを受け「自分に何かできることはないか?」と考えたところ、自分にできる自分だけの戦い「電気を使わない生活」に挑戦することに。
この徹底ぶりが本当に凄まじい。
少しずつ節電を試しながらも、全然うまくいかず、電化製品をどんどん手放すことに。しまいには、長年務めた大手の新聞社を50歳で辞める。
電気を使わず、カセットコンロでご飯を炊いたり料理をして、洗濯は手洗い。掃除機の代わりにほうきと雑巾を使う。冷蔵庫がないので食品の保存は野菜を干したり、ご飯はおひつで保存したり。その日だけの食料を買うか、外食をする生活に。
ほとんど江戸時代の生活を送っているのだとか。
無くすことで得たことも多いらしい。もはや新しい境地に達している。
みたいな話です。とにかく生半可な覚悟ではないので、やっていることが新鮮で読んでいて面白い。
よかったところ
大胆な発想の転換
電気代を節約し始めたものの、目標である「電気代の半減」にちっとも到達しない。ある日、松下幸之助さんの経営哲学を紹介したサイトに出会う。
そこには、「電気代を1割減らす」という目標を立てたもののうまくいかない。そこで「それでは目標を変えて、1割減ではなく半減を目標にしましょう」と発想の転換を示した。
この言葉を受けて、電気代の半減を目標にするのではなくて「電気代0を目指す」ことにした。そこから一気に節電がうまくいきます。
電気を使わない(失う)ことで新しい世界を得る
つまり何かをなくすと、そこには何もなくなるんじゃなくて、別の世界が立ち現れたのである。もともとそこにあったんだけれども、何かがあることによって見えなかった、あるいは見ようとしてこなかった世界。
寂しい生活
木のおひつに保存したお米がうまい
冷蔵庫がない生活を送ると、お米の保存に困る(お米だけじゃないけど)。
ネットで調べると「おひつ」がいいことを知る。木の殺菌作用でご飯が腐りにくいらしい。
これは是非とも自分も一人になったら試してみたい。
今この瞬間を生きる
ある本にブッダの教えが書いていた。人の悩みのほとんどは、過ぎ去った過去を悔いたり、まだ来ぬ未来を思って心配すること。ただ「今この瞬間」を生きること。が大事らしい。
著者は冷蔵庫という未来のための使える道具を捨てた。その日の分の食事だけを考えるだけで良い。夢を描くこと、未来のことを考えることは心配やうまくいかないのではないかという不安や悩みが増えるだけ。
可能性とは
ここまで来て、ふと気づいた。私は何をしているのだろうか。私は、人生の「いつか」、つまりは人生の可能性を捨てているのだ。(中略)しかしそれは本当に豊かさだったのだろうか。可能性を広げると言いながら、実際には欲を暴走させて不満を背負いこんできただけではなかっただろうか。
寂しい生活
干すことで保存する
野菜に関しては干せないものはないらしい。余った野菜はベランダのザルの上に放置。朝干せば夜にはしっかりカラカラに干されている。太陽と風による自然の力でお金もかからない。そして水に戻せばしっかりうまい、らしい。
これもおひつと同じくやってみたいこと。
あきらめないこと。小さなことでもトライすること。
何度も挫けそうな節電に、とにかくあきらめず、小さなことでもいいからやってみることが大事だと気づいた。人生もあきらめないこと。小さなことでもトライすることが大事。
オール電化のマンションには
オール電化のマンションには、玄関に大きなタンクが収納されている、らしい。
深夜の格安な電力を使って湯を沸かして、それをタンクにためておいて日中や夜に使うシステムだとか。
著者は節電をしようとしているのに、ミスでオール電化のマンションに引っ越してしまう。
まとめ
ものすごい生活をしていますが、やはり著者が一人だからできることかも知れませんね。
子供がいたり家族がいるとここまで徹底するのは難しそう。
節約生活を押し付ける訳でもなく、もはや仙人のような境地に達しているようにも見えます。
自分も50代か60代になったらこういう生活を挑戦してみようかな。
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